渓流釣りについて考える 
 
《渓流FFを志す方々へ》 
渓流が駄目になっていく原因の殆どはお持ち帰り釣り師の釣獲圧力が自然の再生産能力を遥かに大きく完全に上回っているためですが、
我々フライマンも、一人一人が渓流の環境に対して心配りが必要だと思います。
出来る限りダメージの少ない釣り方、仕掛けで釣りをする、
魚をリーリースする時は優しく丁寧に、
また、無意味な数釣りは控える、
一人一人の小さな心配りの積み重ねが渓流の環境をより良く保つために働きます。
他の釣り方とフライフィッシングの大きな違いは釣果を最優先しないところです。
優れたフライマンは釣果よりも大切な物があるってことを良く知っている物です。

私は成魚放流や稚魚放流の魚を沢山沢山釣るよりも、
釣るのに苦労しても良いから納得のいく釣り方で、
自然再生産した大きく美しい野生の凄みのある渓流魚を釣りたい、
心の底からそう思っています。
もしも、その魚をバラしてしまっても、それはその人の釣り人生の中の大きな思い出になります。

その為には一人一人が無謀な乱暴な釣りを控える事、それが素晴らしい渓流魚を育てます。
素晴らしい渓流魚が育つ素晴らしい渓流が無ければ素晴らしいフライフィッシングは成り立ちません、
一人一人の小さな事の積み重ねが素晴らしいフライフィシイングライフを作ります。

(2014年9月) 
 
 平成22年度の閉伊川の稚魚放流実績です。その他にも成魚放流が沢山、
毎シーズンこの位放流しています。物凄い放流量です。
それなのに解禁してすぐに釣り切られる溪が沢山、
秋の禁漁まで翌年の再生産に必要な数の魚が残っているところは極わずかの場所だけ、
実質的に殆ど釣堀です。自然に勝手に魚が湧いて来ているのではないのです。
このことについては色々な意見を言う人もたくさんいますが?
3年くらい一切の稚魚放流、成魚放流を止めてみれば川がどのような状態なのかが解るのではないでしょうか?
私はこの表を見ていてとても心配になります。
閉伊川固有の純粋な遺伝子を持った岩魚は今でも生き延びているのだろうか??? と、?!
川をどのような川にするかは漁協しだい、良い川にするも、悪い川にするも、すべて漁協の考え方次第、
閉伊川が素晴らしい川でありますように、遠方からやって来るゲストに胸を張って「素晴らしい川でしょう!」って言える川でありますように、
心の底からそのように願っております。
堰堤や滝などで隔離された場所で、今までに一度も魚を放流したことが無い場所にもしも岩魚が生息していたら、
早急にその場所を全面禁漁区にするべきでしょう、その様に私は思います。これだけは絶対にしなければならないと思います。

漁協自体がお持ち帰り釣り師の集まりではないか?! と言う意見を言う人も居ますが、私は漁協の中にも良識的な考え方の出来る人がいると思っています。
 
今となっては、もう遅いのかもしれませんが、志賀高原の雑魚川の様な事くらいは出来たのではないでしょうか?
(2014年10月)

この先将来、閉伊川がそして岩手の渓流がどの様に移り変わっていくのかを、皆さんで見守っていきましょう、
岩手の渓流を愛する、そして閉伊川を愛する全国のアングラーで見守っていきましょう、
閉伊川が、岩手の渓流が、どの様に移り変わっていくかを、皆さんで、
(2014年11月)
 
 
 
 
 2014年3月
渓流釣り、それは危うい儚さの中での釣り、もしかしたら渓流釣りの魅力とはそこなのかもしれません、

私が子供の頃はすぐ近くの近所の川にも野生の大岩魚が生息していました。
野生の渓流魚がそこいら中の渓流に沢山生息していてとても豊かでした。
でもそれは昔の話です。今は違います。

現在の渓流釣りは、今置かれている渓流の現実を受け入れた上で釣りを楽しまなければなりません、
それが現実です。

問題なのはこれからの渓流をどのようにしていくかです。
現在の渓流が置かれている状況を正確に把握して、
その上でどのように渓流を管理して行けば良いのかを考える事です。
未来の為に何をするか、何をしていくかです。

まずは現状をしっかりと認識することが大事です。
渓流魚と言うのは釣りで釣り切られてしまうのだと言う事を、渓流釣りに関わる人々皆がしっかりと認識する事、
これが初めの一歩です。
(2014年3月)
 
 
 キャッチアンドリリースについて考えてみましょう、

渓流の 山女、岩魚、虹鱒、などの釣りに置いて、
もしも釣りたいだけ釣って、釣れるだけ釣って、すべて持ち帰って食べていたら、
あっという間に渓流から魚が居なくなってしまいます。釣り切られてしまいます。

そこで、考えられるのが、今日の夕食で家族が食べる分だけ数尾釣って持ち帰って、
その数尾が釣れた時点でその日の釣りを止めてしまう、
そういう考え方です。
実に真っ当で素晴らしい考え方です。

ところが渓流と言う釣り場の規模があまりにも小さくて、資源量が少なすぎて、
その真っ当な素晴らしい考えですら魚が居なくなってしまうと言うのが現実です。

そこで、出てきた考えがキャッチアンドリリースと言う考え方です。
釣りはするけど魚は殺さない、と言う考え方です。

そこでチョットだけ言わせてもらいます。
リリースしてもフッキングした魚は傷つくし、その何割かはダメージに耐えられなくて死んでしまうのです。
そこで考えなければならない事は、
いかに少ない釣果で釣りに対する欲求を満たすか、
そして、魚にダメージの少ない釣り方で釣りをするか、
これです。
リリースした魚が生き残る確率をいかに大きくするかを考えなければなりません、

キャッチアンドリリースしているんだからと言って大量の魚をフッキングさせて傷つけてはいけません、
しかもダメージの大きいであろう釣り方で、
それは、今晩食べる分だけを釣った時点で釣りを止める釣り人よりも精神的レベルが低いとしか言いようがありません、
釣り人のエゴでしかありません、自然に対する冒涜です。
我々が釣りで相手にしているのは命のある生き物です。
コンピューターゲームをしているのではないのです。

きつい言葉になってしまいましたが、
最近ではキャッチアンドリリースと言う言葉が独り歩きをして、
その本来持っている意味を履き違えている人が沢山見受けられますので、
あえて言わせて貰いました。

故郷の山河を心の底から大切に思えば横暴な釣りはしなくなるものです。

皆さん、ここいらでもう一度キャッチアンドリリースとは何なのか?
と言う事を考えてみては如何でしょうか?

釣りその物が初心者と言う場合は釣りたいのです。どうしても沢山釣りたい、
それでもキャッチアンドリリースとは何なのか?と言う事を考えて下さい
心のどこかでその事を考えていれば、釣りの場数を踏んで行く事によって心の抑制が出来るようになってきます。
自然を労わる気持ちを忘れずに、魚には優しい気持ちで接しましょう、

(2014年8月)
 
 
 ヒカリ(銀毛ヤマメ)、真鱒の子供です。昔の雑誌から切り取りました。(自分の写真に綺麗なのが無かったので)

私が10代の頃、閉伊川の蟇目付近に自転車で行って板取虫をエサにして釣りました。
釣り上げたヒカリを手に取ると鱗がハラハラと落ちて、まるで銀色のナイフ、
まだ子供でしたのでキャッチアンドリリースの概念はなく、持ち帰って食べました。
味は山女とは違ってとても美味しく身が柔らかかった、
川には沢山のヒカリが溢れるようにいて、幾らでも釣れました。
岩手の渓流の春を告げる妖精の様に感じていました。

現在の閉伊川でヒカリが大量に群れている光景にはまず出会えなくなりました。
現在の閉伊川ではヒカリの釣りは成り立たなくなったのではないでしょうか?
さらにここ数年の自分が閉伊川本流で釣した感じでは本流の山女もかなり減って来たように感じます。
私が閉伊川で桜鱒の釣りを始めた頃は外道でヤマメが結構な確率で釣れました。
今は外道でヤマメが釣れる事もかなり少なくなりました。

今でも閉伊川には真鱒(桜鱒)が遡上してきますので、ヒカリは存在すると思います。
降海する時期が早くなり3月の解禁の前にすべて海に行ってしまうのか?
それとも3月以降に降海する遺伝子を持ったヤマメが釣られてしまって、3月以降に降海するタイプの個体数が減ったのか?

これはあくまでも自分の個人的な意見ですが、
閉伊川の川井の堰堤から下流はエサ釣りを禁止にするべきだと思います。
もしくはキャッチアンドリリース区間にするとか?
体調制限を50センチにするとか?
真鱒(桜鱒)の稚魚(
山女)の保護の為にも、

たったそれだけの事をしただけで資源量はかなり改善すると思います。
立場が違えば違う意見もあると思いますし、考え方も人それぞれです。
それでも、自分たちの故郷の川である閉伊川が何時までも豊かであってほしいと思うならば、、、、、、

釣りたいだけ釣ってすべて持ち帰る時代はもう終わったのです。
川をすべてフリー区間にしてはダメです。

最近 桜鱒の釣りが非常に人気ですが、真剣に桜鱒を増やしたいと思うなら、
サクラ鱒の釣りを末永く楽しみたいと思うなら、子供たちの世代に豊かな川を残したいと思うなら、
そう思うなら下流域の山女を持ち帰って食べてはダメです。
川にはオスの山女が沢山いて、メスがヒカリになって大量に海に降りて、
そして海に降りたヒカリが春に桜鱒になって遡上する。
そして秋にメスの桜鱒とオスの山女が産卵行動をする。
下流域の山女を持ち帰って食べてはダメです。
今この瞬間の自分が良ければ良いのではなく、川の環境の事も未来の事も考えましょう、


殆どのエサ釣り師の人が、今この瞬間、自分が一尾でも多くの魚を持ち帰る事しか考えていません、川の環境なんて考えていません、
結果として、何10尾、何100尾、と言う単位で魚を持ち帰ります。残念ながらそういう事になってしまいます。
そんな行為に川が耐えられる訳ありません
ごく少数ですが中には川の環境の事を考えてリリース前提で釣りをするエサ釣り師もいますが、それは本当にごく少数です。


エサ釣りを100パーセント否定するつもりはないですし、
釣ったヤマメやイワナを食べる事を100パーセント否定するつもりもありません、
自分も若い時はエサ釣りをしていましたし、魚を持ち帰って食べていました。
渓流のエサ釣りで釣りを覚えました。
釣り場を用途別に分けるべきなのではないでしょうか?と言っているのです。
保護するところは保護するところ、釣りだけするところは釣りだけするところ、食べるところは食べるところ、

(2014年8月)
 
 
サクラ鱒(真鱒)、フライでもエサでもルアーでも、最近はとても人気のターゲットです。
この魚、食べると非常に美味しいです。そして魚屋で売られている値段はビックリするような高い値段です。
はるばる外洋を旅して危険をかいくぐり産卵の為に故郷の川に遡上してきます。
釣り上げた桜鱒をしげしげと眺めて、その事を考えると、これはリリースだな! と言う結論に私はなります。
自分が今釣りをしている故郷の川を心の底から大切に思えばリリースと言う結論になります。
サクラ鱒の釣りの経験値が浅い人は最初は桜鱒を釣った事が嬉しくて、当然の様に持ち帰って食べると思います。
最初のうちはそれでも良いのかな?と私は思います。釣った魚を殺して食べる事によりその魚の価値が解ると思います。
場数を踏んで経験値が上がったなら釣り上げた桜鱒は優しくリリースして欲しいものです。
今、自分が釣りをしている川の自然を大切に思うならリリースして欲しいものです。
川に溢れるほど桜鱒が居る訳ではないのです。
現実になかなか釣れない、それは個体数が少ないからです。
北朝鮮みたいに国全体が食糧危機だ!ってなら、そんな悠長な事は言っていられないと思いますが、
日本は食べ物を食べきれないで大量に廃棄している国です。
理想としては、漁協なり行政なりが桜鱒の資源量をしっかりと把握してしっかりと管理するべきなのだと思います。
釣り人は自分勝手で自分のやっている釣りを言葉巧みに正当化する事しか考えていませんから、
(2014年9月)
 
 
 
 9月終盤の三陸の渓流にて撮影した桜鱒です。
数々の危険をかいくぐりここまでたどり着きました。
もう少しです!頑張れ!
頑張って命を繋いで行ってほしいものです。
(2014年9月)
 


  2016年の From O.Rod より
  3月です。
渓流解禁です。
シーズンのスタートにあたり思う所があります。


日本カワウソの物語を調べると、それはとても悲しいストーリーなのですが、
人間の業と言うか?欲望と言うか?


三陸のネイティブトラウトも結局は日本カワウソと同じ道をたどるのかなと思います。
釣り師の欲望?

いま三陸で滝などで隔離された水域で一度も養殖魚を放流したことのない場所で
山女が生息しているところはないと思います。
岩魚はもしかするとどこか隔離された場所で細々と世代交代を繰り返している小さな集団があるかもしれません、


震災後に少しだけど漁協と言う物に関わりましたが
(関わると言うほどでもなく組合員になったと言うだけです。)
まあ、ほんの少しでも漁協の事務所に行き話を少しだけでもする機会があり、
そこで解ったのは、

この人たちはネイティブトラウト(原種の岩魚など)を守っていこうとか言う意識は全く無いな!と言う事、
自分たちの社会的立場を利用して今この瞬間の自分の快楽を追求しているだけだな!って言う事、

川を管理する立場にある組織がそうなのですから?????
残念ですね、
(漁協の人達は自分たちの故郷の川を愛おしいとか
大切にしていかなければならないとか思わないのだろうか?)

三陸のネイティブ岩魚は消えるのだな、
(ネイティブ山女はとっくにいないと思います。)
釣り師の欲望のなせる業
どうにもなりません、


釣具業界全体を見渡してもなんだか似たようなもんです。
経済優先の言動しかとっていません、
健全な川があって魚が居て、それで初めて商売が成り立って居るって事を忘れている、





原子力の問題、
化石燃料の問題、
地球温暖化の問題、
その他色々、、、、、

多分、、、、人類ってのは、しょせんそんなもんなのかもしれません、





そういう中にあって、じゃあ!自分はどう振る舞うのか?と言う事です。
時間と言うのはサラサラと流れていくものです。
どの様な生活をしても勝手に流れていきます。
その流れていく時間の自分に与えられた残りの時間をどう使うか?

竿作りは仕事ですから一生懸命します。
その中でほんの少ししか与えられない自分の為の釣りの時間は、
自分の心が本当にやりたいと思う釣りに使おうと思います。
竹竿師は時間的にも経済的にも厳しい生活をしています。
無駄な事をやる余裕はないです。


釣りと言うのはある意味時間との戦いです。
消えゆく純粋野生の自然を追いかけていく、
消えて無くなる前に釣りをする、



自分の為の釣りをしっかりと、そして純粋に楽しむ事ですね!
自分の心に嘘をつかない事ですね、
自分の為の時間を大切に、
フライフィッシングを心の底から楽しみましょう!



サラサラと流れる時間の中でフライフィッシングです。



(2016年3月1日)






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